東南アジアで近年、世界的に存在感を増しているシンガポール。一人あたりGDPはすでに日本を上回っており、大変裕福な国として認知されている方が多いのではないでしょうか。しかし、シンガポールの国土は非常に小さく、さらに資源にも恵まれていません。
では、一体どうやってシンガポールはここまでの成長を遂げることができたのか。そんな疑問をシンガポールの歴史を紐解いていくことで明らかにしていこうと思います。
独立による危機感
マレーシアとシンガポールの合併国であったマレー連邦は1957年に植民地支配下にあったイギリスから独立しました。しかし、マレーシア側が人種差別による統治を打ち出し、それに対し、当初シンガポールを率いていたリー・クアンユーが猛反発しました。この反発により、シンガポールは独立せざるおえなくなり、国としても先が見えない不安から危機感が国に充満しました。
しかしこの危機感がシンガポールを先進国へと押し上げた要素と言えるかもしれません。なぜならこの危機感により、国民は一致団結し、優秀なリーダーであるリー・クアンユーに国を委ねる決意を固めたからです。
リー・クアンユーの3つの政策
では、具体的にリー・クアンユーはどういった政策を施行したのか。彼が行ったのが、住まいと仕事を作ること、教育の充実化、そして国外への経済開発基地設置です。
リー・クアンユーはシンガポールに地震がないという事実を知り、高層ビルを多く建設し、そこを国民の住まいとしようと考えました。しかし、国民には十分な仕事がないという根本的な問題がありました。そこでリー・クアンユーははじめものづくり産業を活発化すべく、多くの外資企業を誘致しました。その中には、現パナソニックの松下電器も含まれていたそうです。
ものづくり産業の成長が鈍化すると次に金融産業に目をつけ、多くの企業を誘致しました。今でもシンガポールは金融の国と言われています。
この外国企業誘致と並行して、世界のエリートをシンガポールに呼び込むため、教育にも力を入れ始めます。世界のエリートを集めたシンガポール大学は今ではアジアNO.1の大学にまで成長しています。
しかし、女性の社会進出が進み、また高所得化が如実化した結果、出生率が著しく低下し、国内市場は活気を失い始めます。
そこで他国との協力に乗り出します。最近だと、インドネシアとデジタル経済実現に向け、協力しているという記事が出てました。
おわりに
シンガポール成長の背景には、突如独立に直面したことによる危機感とリー・クアンユーという天才的な指導者による3つの施策が大きな要因だと言えます。